浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

仏教

樹木伐採

シルバーの方に寺の周りの樹木を伐採して頂いた。 樹木が倒れる瞬間はスローモーションの様に感じられる。以下、記録映像(音量注意)。 www.youtube.com さて、この伐採は、この辺りでは結構有名なシルバーの方にして頂いた。後、女性の方2名がこられて3名…

宗教について考えた事

お寺に生まれつつも、あまり宗教心無く生きてきたので、お寺に戻るときには結構不安だった。お寺に戻り、約2年が経過したが、昨晩ふと宗教の必要性ということが頭に浮かんだ。何を考えたのかを記録しておく。 そもそも、何故宗教は必要か。ひとまず、一般的…

阿弥陀経CODED

先日、阿弥陀経CODEDなるものを公開した。というか、工作して自己満足している。 たぶん世界初!阿弥陀経タワー(阿弥陀経CODED)じゃ。お経のUTF8バイナリコードが1200個のLEDのオンオフとして下から上に螺旋状に登っておるぞ。色はランダムじゃが、点滅は…

御文章を拝読していて思った事

御文章の拝読をしている。今、うちの本堂にあるものが、次の写真のように日付に合わせて選ばれているので、そのようにしている。(本願寺拝読日と書いてあるので、きっと本山ではそうされているのだろう。) そもそも御文章を説明せねばとGoogleで「浄土真宗…

道心

仏法の興隆は僧侶の道心による。参る人がすくなくなるなら僧侶の懈怠(けたい)への御意見と思わねばならぬ。 如是我聞ー上山城守遺語ーより いくつか、私には難しい言葉があるので、まずはそれらから。(出展は macOS 標準の辞書アプリ(スーパー大辞林)よ…

「知る」と「心得る」

知っていることを心得ていると思い上がりをして、高い所から仏法をわめき立てている。群集はその芸当に見惚れている。まるで、人気芝居じゃ。その芸当の巧みさについて廻って、説く人も聞く人もざわざわして身についていない。 如是我聞ー上山城守遺語ーより…

臭いもの

私が死んだのちに、後の人よりこんな人であったと、悪いことでも善いことでもいわれることは私の臭みだ。人間はそんな臭いものを残そうとしている。 如是我聞ー上山城守遺語ーより 悪いことでも善いことでも臭いもの。 自分のことを考えると、死んだのちのこ…

よく聞いて、しっかりする身になろうとするのが危ない。

よく聞いて、しっかりする身になろうとするのが危ない。 如是我聞ー上山城守遺語ーより 短いのでそのままタイトルにした。 このような言い方は真宗の法話ではよく聞く。もちろん言い方は色々で、例えば善い人になろうという気持ちの裏には善く見られたいとい…

愚者と智者

智者と思うのが愚者で、愚者を知るのが智者だ! 如是我聞ー上山城守遺語ーより 自らを愚者と知る。浄土真宗の基本である。そのようにありたい。 さて、この文章、??となるかもしれない。これは、文章の構造が、 「この文章は正しくない」 という文章の構造…

仕様が無い

仕様がないーー家で若い者に言っても聞いて呉れぬ。どうも仕様がない。仕様がないから仕様がないで終っては仕様がない。家の内では祖母さんが念仏に生きた。それが孫子供を育てる。その子供が、郷里の祖母に手紙を書いて「この手紙を読んでから送った小包を…

仏教と仏法

仏教は頭に聞く、仏法は身に聞こえるものじゃ。 教が法になるには機がある。 如是我聞ー上山城守遺語ーより 仏教と仏法。なるほどそういうことかと少し分かった気がする。 仏教は以前は仏道といって、文字通り仏になる道であると聞いたことがある。一方で、…

どえらいこと

お念仏 只念仏して弥陀に助けられることは、やさしい道で易行門【いぎょうもん】と言わるる。だがそれが反【かえ】って不安である。難信である。奥深いものを探ろうとする。だが只念仏してと言うことは他力の至極の声である。衆生の涯【はて】にかかる願であ…

仏法を説く

仏法仏法を説くものは多い、これを論ずるものも多い。だが仏法に遇【あ】うものはすくない思いがする。講釈の仏法、説明の仏法になってそれで仏法が証明されようか。仏法は念仏に証明されている。学問や理屈で証明されるものじゃない。我れに離れぬ生きた法…

如是我聞

私の祖父は上山城守という。浄土真宗本願寺派 鯉原山浄泉寺 第14世住職。法名は、自然院釋城守。昭和56年8月22日往生なので、私が11歳時に亡くなった。 よく覚えているのは、夕刻の鐘をつくのに合わせて、数の数え方を教えてもらったこと。波打った鉄板が鐘…