浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

「知る」と「心得る」

知っていることを心得ていると思い上がりをして、高い所から仏法をわめき立てている。群集はその芸当に見惚れている。まるで、人気芝居じゃ。その芸当の巧みさについて廻って、説く人も聞く人もざわざわして身についていない。

如是我聞ー上山城守遺語ーより

 

そもそも、上山城守遺語とは何?という方もおられるだろうから、上にリンクを張った。興味を持ちつつもなんだこれ?城守?となった方は上記よりご確認ください。

 

さて、これは、どなたかの法話の様子を見てのことだろうか。所謂プレゼンテーション能力については私も意見がある。

 

知っている事を心得ていると思い上がりをして・・

 

なるほど、これは良い言い方だ。確かにその通りに思う。

 

私の思う究極のプレゼンテーションは、その人の業績なり知識を100%伝える事ができるプレゼンテーションである。一方で、120%を目指す人がいる。これは完全に間違いだ。+20%は嘘であろう。

 

知っていると心得ているの違い。知っている事をさも自分がしたことのように語る。これは嘘であるし、剽窃である。少なくとも科学の世界、研究者の世界では許されない。心得ている人はそんなことはしない。

 

以前、まだ法話は私にはできないといった事を書いた。この城守の言葉は私のその気持ちを代弁してくれている。そのようなプレゼンターにはなりたくないのだ。今も、多少の知っている事はある。ただ、心得ていない。そういうことだ。