浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

仏法を説く

仏法
仏法を説くものは多い、これを論ずるものも多い。だが仏法に遇【あ】うものはすくない思いがする。講釈の仏法、説明の仏法になってそれで仏法が証明されようか。仏法は念仏に証明されている。学問や理屈で証明されるものじゃない。我れに離れぬ生きた法じゃのに、古道具屋の店棚のように並べたてているのじゃないだろうか。

如是我聞ー上山城主遺語ーより

 

私は今のところ仏法が説けないし論ずることも難しい。これは、先日御門徒様にもお伝えした。

 

今年、2019年3月10日に引っ越しをして、自宅を東京から山口の浄泉寺へと戻した。30年ぶりのことになる。高校を卒業して30年間、京都、北海道、広島、東京と移り住み、東京には12年だったか住んでいた。その30年の間、応用数学という学問分野で学び、研究教育活動を行ってきた。それなりに頑張ったと思っている。

 

一方で、仏法についてどうか?正直全く知識が無い。

 

応用数学の分野において、研究発表ということがある。大抵、その研究の背景であるとかのイントロダクション部分を上手に話さないと、本論に興味を持ってもらえない。また、その分野の全体的な話ができるとなお良い。35歳のころだっただろうか、私の先生に当たる方は大変研究講演、特に分野全体およびその周辺にまで広がる啓蒙的な講演が上手な方なのだが、その先生に、私にはそういう話はまだできそうにありませんと正直に申したことがあった。なぜなら、個別の問題は考えてきたけれども、分野のことやその広がりなど考えたこともなく、知識も無いからだ。ただ、テクニックとしてさも広く知ったかのように話すことは可能だと思っていたし、実際やろうと思えばできたと思う。が、私にはできなかったし、そのような話をしたとしても、それが上部だけの薄っぺらい話であることはすぐにばれただろう。事実、そういう講演はよく見かけるし、分かる人にはばれている(逆に言えば、それがわからない人も多い)。そのような、啓蒙的な話をするには、実はその分野について深く知ることと、深く経験することが必要だ。そして、その分野に誇りを持たねばならない。また、好きでなければならないと思う。そうでなければ、その楽しさ素晴らしさ深さは伝えられない。

 

だから、今の私には仏法が説けないし論ずることも難しい。やはり、テクニックとしていくつか本などを読み、適当に話すことはおそらくできる。ただ、先の説明の如く、そのようなことはしたく無いというか、できない。御門徒様には、後少なくとも10年はかかるとおもうと伝えた。先の応用数学の分野でも10年はかかった。

 

さて、城守の言葉を読み返すと、おおよそ私の考えていることも間違いでは無いように思う。深く研究すればよりよくわかるということでは無いというのが難しいが、

 

「我れに離れぬ生きた法」

 

とあり、なにか、こう、体に染み込むようなことだろうか。

 

「仏法は念仏に証明されている。」

 

この文の真意がわからないのは、おそらく私の勉強不足だ。証明とは第18願からのことであろうか。そういう理屈であればわかるのだが、そうでは無いような気がする。

 

自分で言うのもなんだが、基本真面目なのである。

 

南無阿弥陀仏