浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

何がオンラインで何がリアルなのかを考える

変なタイトルだ。

 

このコロナ禍において、オンライン授業やテレワークが盛んに行われた。

 

今、やはり前が良かったといった風潮が出てきて、以前のような形態に仕事や教育も戻りつつある。これはおそらく本能的なものだろう。ただ、そもそもその戻りたいという、以前の日常は、今回のコロナ禍での突然の変化に比べれば遅いだろうが、結構な速度で進んだ変化を含んでいる。その、戻りたいという以前の日常を今一度見つめ直すと、そもそもそちらがおかしいのではないかと思うのだ。それを少し書いてみようと思う。

 

仕事がリアルで、人間としてバーチャル

 

これまた変なサブタイトルであるが、このようになっていたのではないか?と思う。仕事が中心であって、人間関係も仕事が中心である。一方で、例えば田舎から都会に出て生活を営んでいる方々は、本来リアルに感じるべき田舎の両親などはバーチャル化していないか?

 

仕事をリアルに置いていた結果、仕事を辞めたとたんに交友関係があると思っていた人たちと疎遠になるというのを聞く。場合によっては鬱になるそうだ。リアルだと思っていた社会が、実は薄いつながりだった。我々がバーチャルに抱く印象そのものがリアルだと思った生活に現れる。

 

一方、バーチャルに放っておいた本来の人間としてのつながりはどうだろうか。気がついたときには、両親は歳をとり、やはりバーチャルな中で亡くなり、葬儀を終えて何を思うだろうか。

 

これは批判ではない。気がつかないうちに我々は生活の中で仕事をリアルの中心と思い込み、本来の人間としての営みをバーチャル的に扱っている。そして、これが現代的で仕方ないことだと思い込んでいる。そして、コロナ禍において多少本来的になれるチャンスがあるにもかかわらず、つまり人間的な営みをリアルに置いて、仕事をバーチャルなものとして捉える姿勢がすぐそこに見えてきているのに、以前に戻りたいと思う。

 

こういった社会はどうだろうか?

実現は難しいかもしれないが、目指しても良いではないか。例えば、田舎住まいでオンラインで仕事。田舎の自然の中で子供たちは創造性を営む。オンラインで仕事であれば、日本である必要もないかもしれない。日本から海外の会社に勤めていても良いだろう。日本の会社の社員が、ほとんどオンラインで海外から出社でも良いではないか。そんな、バーチャルな会社なんてと思うだろうが、それぞれの個人はリアルな生活をそれぞれの拠点に持てるではないか。その方が重要で、生産性もむしろ上がるだろう。次世代の人材も育つんじゃないか。

 

そもそも、今の世代がオンラインに馴染めないのは、オンライン世代ではないからであろう。次世代がオンラインネイティブ世代と呼ばれるかは知らないが、そういう世代にとっては社会の見え方は、ここに書いたようなことになるかもしれないし、そちらが自然と捉えられるのかもしれない。今我々の世代の常識で考えるべきではなく、社会も絶えず変化している。

 

これまでの数十年は、おそらく技術的な未熟さに対して人間が合わせてきた時代だ。今、技術的な障壁はかなり減ったし、人それぞれの能力もかなり高まっているだろう。だからこそ、一気に本来あるべき姿、本来あるべき社会に移行すべきだ。

 

都会こそ素晴らしいという時代は終わるべきだ。今こそ田舎生活にリアルな人間性を求めるべきだ。ただ、今の田舎にそれがあるかというと、ミニ都会を目指した田舎だらけのようにもみえる。

 

今、住みたい田舎に必要なのは、

  • 高速なネット環境
  • 田舎ならではの特徴的な教育
  • 安心できる医療
  • 老後を支えるコミュニティー

だろう。特に教育と医療は大事である。医療は、それぞれの個人病院で競争するような時代はもう来ない。協力して、地域の医療体制を作ることを目指すべきだ。自分達で町を作るというムーブメントが必要だろう。教育も同様。そして老後のケアも。

 

最近この手のことをよく考える。歳を取ったのだろう。

 

書いてみるとつまらない内容に見えるしまとまりもない。また、あらためて書いてみよう。どうも違うし、それほど単純なことではないことはわかっている。

 

 

 

 

 

自分のコンピュータとの関わりを振り返る(1)

こちらは、このブログを始めた頃に書いてそのまま下書きにあったもの。なぜそのまま下書きにあるのかよくわからないが、おそらくそれなりに力を入れた記事にしたかったのだろう。

 

適当に書き足して、公開してしまう。

 

2020年度は小学校でのプログラミング教育必須化という年になる。準備はできているのだろうか?以下の文部科学省のHPには詳細な情報があるので、興味がある方は見て見ると良いと思う。

 

www.mext.go.jp

 

ここでいうプログラミング教育は、所謂プログラマー養成ではなく、プログラミング的思考能力、言い換えれば論理的思考能力を伸ばす為のものである。手引きの第2版というのが出たようで、第1版に比べて、社会科や家庭科といった科目との連携も触れられていて、科目間の連携を考えたものになっている。これはとても良いことだと思うが、現場的にどういう対応がなされるかは注目したい。

 

プログラミングには論理力が必要である。これは間違いない。一方で、一般的な仕事も論理力が必要である。とても簡単な事だが、順番も大事だ。プログラミングを学ぶとそれがよく分かる。処理は順番通り行われ、順番を間違えると正しく動かない。トイレに行く前に手を洗うのと、トイレから出る前に手を洗うのでは結果が異なる。(これは、プログラミングが関係する授業で良く言っていた説明だが、わかってくれたのかどうか定かでは無い。)

 

さて、アプリ開発をしてみたいと思っておられる方は多いだろう。世の中には沢山の学習コースもあるようだ。それで実際にアプリ開発ができるようになった方もおられるのだろうと想像している。私は私の経緯しかわからないので、私が iPhone アプリを開発するに至るまで経緯を振り返ってみようと思う。

 

1. 小学校6年のころポケットコンピュータ、カシオPB-100が発売された

 

ja.wikipedia.org

 

なぜ、PB-100発売を知ったのかわからないが、あれこれ説得して親に買ってもらった。恐らく、任天堂のゲーム&ウォッチが流行っていて、その延長として興味をもったのだろう。任天堂ゲーム&ウォッチは確か買ってもらえなかった。友達がもっている物を遊ばせてもらっていた記憶がある。オクトパスが一番好きだった。

 

PB-100 ではBASIC言語が動いた。PB-100でのプログラミングの本が出たりしていたので、その内容を打ち込んで遊んだ。トランプゲームがお気に入りだった。狭い液晶画面だったが、楽しかった。また、プログラムを本に書いてある通りに打ち込むのだが、大抵間違える。間違えると全く動かないこともあるが、間違ったまま動く場合もある。その動きが面白く感じた。つまり、間違ってても動くんだという感覚。PB-100には拡張RAMパックというものがあった。それ無しでも動くプログラムは多かったが、多少凝ったものは、拡張RAMパックが必要となった。後で追加購入し、色々なプログラムを動かして遊んだ。当時、友達とこんなゲーム作れたらおもしろんじゃないか?と色々アイデアを出したりしていた。

 

2. 高校時代、PC-8001mk2

高校に入る頃、自宅には NEC PC-9801VX というマシンがあった。父が使っていた。DATABOX というデータベースソフトを使い、寺の門徒さんの名簿管理をしていた。当時は、5インチのフロッピーディスクが主流だった。または、カセットテープ。 

 

2. 大学時代、とにかくコンピュータ関係が面白かった

私が大学2,3年生の頃にパソコン用のC言語開発環境が一般的になってきた。大学では、SonyのNewsというUNIXワークステーションを使う事ができた(Sony がそのようなワークステーションを売っていたというのは、今考えると不思議な気もする)。また当時、私は富士通FM-TOWNS というマシンをもっていた。マルチメディアという言葉が流行った時代。その頃、 TURBO C というC言語の開発環境が発売された。確か、サザンパシフィックといった名前のメーカーだったか。富士通C言語の開発環境を発売した。LUCID C という名前であった気がする。TURBO C は比較的安価だったので、それを購入して遊び始めた。ただ、BASICはある程度かじっていたが、C言語はそのころ大学の授業で習い始めた頃だったので丁度良かった。そういえば、C言語の前にBASICに触れている。これはもしかしたら重要なのかもしれない。また、当時のマシンは速度が遅いため、C言語に加えて部分的にはアセンブラ言語での記述も必要だった。当時は、第一種情報処理技術者試験というのを受験し、合格したが、その中にCASLというアセンブラ言語があった。この手のことは驚くほどよく覚えているなと今自分でも驚いている。磁気テープがどうこうとか、当時も既に古い技術についての問題が多かったが、見た目に古いが原理的には何も変化が無いということを理解できた。それは今でも同じで、基本的には磁気テープだろうがUSBメモリだろうが同じだと思っている。(シーケンシャルかランダムアクセスかの違いはもちろんあるが。)

 

さて、C言語は授業で習いつつ実習もあったが、基本的には独学した。いまから30年前の事だ。次の本を二度ほど熟読した。

 

プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠

プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠

 

 

いまも全く同じ本が売られていることに今衝撃を受けているが、C言語というのはそういうものだ。これは、C言語を「作成した」2名による著書であり、当然であるが正確に書かれている。知り合いに、この本を2度熟読したというと、大抵笑われる。

 

記憶で書くが、最初の方には摂氏と華氏の変換プログラムがある。これはつまらなかった。その後の方では、所謂リスト構造の自作がある。C言語でよく話題に上るポインタを活用するのだが、ここでポインタについて完全に理解ができる。例題は恐らくほぼ全てやってみたと思う。面白かった。なぜ2度熟読したかというと、単純に面白かったからだ。

 

それから、これはラッキーだったが、授業で簡単なコンパイラを作成するものがあった。次の本を用いた。

 

翻訳系構成法序論 (ソフトウェア工学ライブラリ)

翻訳系構成法序論 (ソフトウェア工学ライブラリ)

 

 

PL/0 というコンパイラを作成するというマニアックな内容だが、とても面白かった。なので、私はある程度コンパイラの仕組みを知っている。同時に、その頃 FM-TOWNSLinux が移植された。これはラッキーだった。今でこそ、世間で広く使われている Linux の惣明期に触れられたことは大きい。その経験から、UNIX系OSのハンドリングが得意になったし、その内容に興味をもった。当時は、Linux は、まぁ素人が作ったモノだし、やはりBSDだよねみたいな感じもあった為、次の本を買って読んだりし始めた。FM-TOWNSでも確か NetBSD 辺りが動いて動かした気がする。

 

UNIX 4.3BSDの設計と実装

UNIX 4.3BSDの設計と実装

 

 

これはさすがに熟読はしなかったが、デバイスドライバの書き方などがある程度理解できた。OSはC言語で書かれてるんだということを知ったし、OSの再コンパイルや、C言語の一種であるGCC等のコンパイラコンパイルとか、色々な体験ができた。OSの再コンパイルなんて、当時は一晩では終わらなかった。

 

386BSDなんてものもあったような。そのようなシステムを make world するのが楽しかった。大学に、当時の DOS/V マシン(この響きが懐かしい)を買ってもらい、完全に自由に管理させてもらった。その時、ネットに接続(当時は 10BASE のイエローケーブルだった)に、変なノイズが乗ってネットが不安定になるということがあり、それが僕の管理しているマシンのせいだという事がわかった。当時の情報系の先生(今も現役でおられる)が、FreeBSDだったか、そのあたりのネットカードのデバイスドライバを書き換えて直してくれた。正直、おどろいた。

 

(2)に続く

 

 

 

 

 

iRacing の楽しみ方

以下、おそらく昨年9月ごろに書きかけて、下書きにあったもの。その後に、年明けて現在の状況を書きたそう。

 

iRacing は楽しい。

但し、結構疲れる。20分のレースが集中力の限界。以前は5分しか集中力が持たなかったが、今は20分は持つようになった。それからすると、もっと長いレースも可能かも知れないが、当面20分程度にしておこうと思う。予選から入れると、45分程度は時間を使うので。

 

また、セッティングは面倒なので、皆が同じ条件でレースをする Fixed Setup のレースを好んでしている。GT3車両が今のところ好みだ。フォーミュラ系は反射神経が追いつかない。

 

さて、今のところレースにおいて追い抜きができない。また、後ろに早い車がきたら、ほぼ抵抗せずに抜いてもらう。

 

楽しいのか?それで?と思われそうだが結構これはこれで楽しい。

 

まず、予選は頑張る。上位でスタートしないと全く面白くない。理想は予選一位からスタートしてそのまま一位。それを目指している。

 

現状は、iRacing ではスキルが大体揃うようにレース分けがされるので、ポールポジションもたまにとれる。大抵、3から5位くらいになる。7位くらいは結構最悪なポジションで、大抵第一コーナーで事故に巻き込まれる。よって、予選は三列目くらいまでに入らないとだめだ。または、ほぼ最後尾。

 

スタートの混乱で順位を上げる人も多いが、僕の場合は大抵下がる。ぶつからないように、恐らくかなり大げさによけている。

 

基本的に、仏教徒なので、譲り合いの精神である。自分より速い人をわざわざせき止める事はしない。先に行ってもらう。大抵、その後前の方で事故があり、順位が上がる。大乗仏教系の方でなければ、ここで他力本願と言う言葉を使うだろうが、当然僕は使わない。

 

また、前に遅い車がいて追いついたとき。これも、基本的には追い抜かない。大きく譲ってくれた場合には遠慮無く抜かせてもらう。

 

さて、前に遅い車がいて、抜かない場合、あたりまえだが後ろに他の車が追いついてくる。そういう場合も、譲る(笑)その、追い抜いた車はすぐ前の僕の抜けない車を直ぐに抜いていくのがパターンだ。それはそれでよい。

 

恐らく、追い抜きについては、追い抜きを何度も試みないと上手にならないので、もう少しスキルが上がったら抜くことにする。今は、スキルが足らないので、恐らくうまくいかない。

 

スキル全般としては、かなり上がってきている。ライセンスもAになり、iRating は 1300 程度。これは、2000程度にはしたいのだけれども、追い抜きができないとそうにはならないだろう。順位を上げていくことが求められるので。

 

こんな感じでぼちぼちやっていく。

 

さて、年が明けたw上の文章は昨年9月ごろに書いたと思う。その後、結構成長して、現在 iRating は 2400 程度。追い抜きも結構できるようになってきた。スキルで振り分けられるのだが、最近は一番上の枠に入ってしまうことが多い。

 

これは、あらゆることで同様だが、スキルが上がると同様のスキルの人の人数は減る。平均的なスキル(iRating では 1200 くらいが平均らしい)の人が一番多く、それより低いまたは高い人の人数は徐々に減る。であるから、あるレースに登録した人たちの中でiRating の高い方から20名程度を選抜すると、iRating が6000とか4000とかの人がいる中で、2000台も入ってしまったりする。2番枠は、おおよそ2000台で揃うという感じ。

 

一番枠をトプスプ(トップスプリット)と呼んだりするが、ここに iRating 2400程度で入ってしまうと、ほぼ勝てる見込みはない。これは、昨年書いた文章に当時の苦しみを書いているが、基本的には現在も同じような状況。トプスプでポールポジションが取れることはほぼなく、上位入賞も難しい。よって、今の方がより状況的には苦しいとも言える。トプスプは比較的安全である。全員がある程度以上のスキルを持っているため。ただ、例えば僕くらいのスキルの人間がさらに上に上がろうとすると多少無理をすることになる。よって、昨年の文章と同じようなことはやはり起こる。そういった事故を避けつつ、安全にできるだけ上位でフィニッシュするが現在の目標。予選で上位に出られれば良いのだが、それが結構難しい。スキルが高い人は、当然予選も速いので。。

 

追い抜きはできるようになってきた。前の車と近距離になっても驚くことが減った。接近戦ができるようになってきたということだ。日々の上達はわずかだけれども、確実にスキルはついてきているのがわかる。それが、きちんと iRating という数値で表現されるのが素晴らしい。

 

ところで、この iRating については、なかなかうまくできた仕組みだと思いつつも、その定義がよくわからなかったので少し調べた。基本的には、チェスの腕前の数値化を目的に考案されたと言われる、イロレーティングをもとにしているようだ。

 

ja.wikipedia.org

 

これは、1対1の対戦型のゲーム(チェスのようなもの)のレーティングを目的としているので、それを複数台が同時に走るレースに拡張したものを用いているようだ。実は、iRating がどういう式で定義されるかは公開されていないようで、詳しいことはどうも書いてはいけないっぽいので書かないが、うまく検索すると出てくる。Mathematica で計算したりすると、確かに正しく iRating の増減が計算されるので、正しいと思われる。基本的には、イロレーティングの多数同時参加型ゲームへの拡張であり、実際 iRating は、結構正しくスキルを数値化できている実感がある。同じくらいの iRating の人は、同じくらいの速さである。

 

このイロレーティングは、結構面白い。物事の上手下手を数値化するのは結構難しい。まぐれで勝つとかいうこともあるから、判断が難しい。ただ、何度も何度も対戦すれば、そういうまぐれは埋もれるので正しい数値になっていくのである。これは、なにか色々応用できるきはしているので、もう少し研究しようと思う。

 

こんな感じでぼちぼち続いている。

ガラケー

いわゆるガラケーと呼ばれるものがある。

最近は、中身は最新のAndroidOSで、見た目が旧式のガラホというのもあるらしい。

基本的には操作系(ユーザーインターフェース)の違いで分けていると思われるし、ここではそのつもりでガラケーと言っている。

 

今、施設にいる父が数年前、つまりまだ比較的元気だった時にスマホに変えたがっていた。僕としては、もう高齢なので、ここでスマホに変更して当人の使い勝手が悪くなるのは目に見えていたので、そのままガラケーを使い続けさせた。

 

その後、入院生活となり、施設のお世話になることになった。

 

そこで、ガラケーを使い続けることのリスクが見えてきた。

 

当人が使えるときは何の問題もないのだが、当人がたとえば介護状態になった時、他の人にお願いして電話等をかける事態となる。その時に、若い方々、僕も含めてその旧タイプの操作系を使えないということが起こりえるし、実際に起きた。

 

おそらく、こういった事態はこれまでも繰り返されてきたのだろうが、最新の技術をある程度追い続ける姿勢は、自分が使うものだからという視点のみならず、他の人に操作してもらう可能性があると言う視点が必要で、良くも悪くもその時代時代の共通的な操作系になったものを使うようにしていくことは大事だと思う。実は高齢者ほど、そのようにしないと生活の質の低下をもたらすことになるように思う。

 

父があの時スマホにしていれば、寝たきりの生活でももう少し外の世界との接点を持たせてあげることができたかもしれない。

 

一方で、自分も、まぁいまので使えるから良いやというふうにまず思う年齢になってきた。これは、結果として自分が困ったことになると感じたので、意識的に最新のものを追うようにしたいと思う。

阿弥陀経タワー(改)

昨年末に、阿弥陀経CODEDというタワータイプのものを作成した。以下、その時に記述したもの。

 

jyousenjii.hatenablog.com

 

これを、小型化することにした。寺の本堂には、1200個のLEDのタワーは迫力があって良いが、一般家庭には大きすぎるだろう。約300個のLEDのサイズで作成する。

 

 

また、制御を Raspberry Pi 3+ (ラズパイ)でしていたが、Arduino(アルディーノ)に変更することにした。ArduinoC言語で書いたプログラムで制御できるので簡単。但し、今回の阿弥陀経タワーについては幾つかの問題が生じた。ラズパイは、パソコンなのでOSもあり、起動や終了にそれなりの手順が必要だ。Arduino はそういうことが不要で、電源オンオフが家電製品のようにできる。

 

まず、LEDの制御は、次のページで直ぐにわかった。超簡単。

 

deviceplus.jp

 

なんだ、何も考えずに移行できるなと思った。

 

しかしながら、Arduino は使えるメモリーがとても少ない。Arduino Uno の互換機を使うのだが、使えるメモリーは 2KB。フラッシュメモリというプログラムを保存する領域も 32KB しかない。例えば次のページが詳しい。(KBというサイズがわかりにくいかも知れない。1GBは約1000MBで、1MBは約1000KBである。)

 

garretlab.web.fc2.com

 

あまり考える事無く、ラズパイのPythonプログラムをC言語で書き直したものを Arduino で動かそうとしたら、プログラムのソースコードが大きすぎて動かないという事態が生じた。実は、阿弥陀経の漢字を Unicode のコードポイントとして、それぞれ2バイト(16bit)のバイナリとして 0, 1 に変換して、それをプログラムソースに書き込んでいた。約3万個の 0,1 が含まれるソースコードなので、それだけで 32KB を超えてしまった。また、それを格納する配列は、当然 2KB には収まらないので動かないという事になってしまった。ちなみに阿弥陀経自体は2000文字弱である。

 

そこで、先の Arduino Unoのメモリのページを見て、配列データをフラッシュメモリ内に置く方法があったので、それを採用。さらに、0, 1 に変換したものでは効率が悪いので、16bit 数値として10進数表現されたものを格納し、都度2進数に変換するということにした。これは結構面倒だったが、頭の体操にはなった。

 

結果として、ソースコードもかなりスリムになり、阿弥陀経のデータも楽々 Aarduino 内に収まる事となった。

 

最近は、パソコンやスマホにしても、大きなメモリー容量があるので、こんな工夫なんて考える事もなかった。30年以上前のメモリーが大変高価であった時代のプログラミングを思い出す。組み込み系のプログラマーは今でもこういう苦労をしているんだろうなと実感した。

 

さて、制御が Arduino になったおかげで、コンセントにさせば即タワーが動き出し、コンセントも何も考えずに抜いてもオッケーとなった。ラズパイの場合にはそうはいかない。Arduino ももう一ランク下げても良いように思うので、よりコストを下げられそうだ。

 

上記は一応1日での作業だった。Arduino は開発環境も良くできていて、誰でも簡単に電子工作ができる。スゴイ時代だなと今更ながら思った。もともとは、阿弥陀経だけでなく複数のお経を切り替えられるようにと思っていたが、上記の理由でちょっと難しそうだ。更に工夫すれば、何とかなる気もするが。

 

後は、ダイヤルで輝度調整とか、点滅をランダムから白色にするスイッチとか、電源ボタンとかそういうものを付ければかなり実用的になる。一応そこまではやってみようと思う。入力の制御も知りたいので。

 

iRacing という修行

iRacing は修行である。

 

私の宗派は修行はしないのだが、iRacing は少なくとも精神修行の意味合いはある。簡単に説明しよう。

 

前回のブログにも書いたのだけれども、緊張感から来る精神修行が一つ。自分のミスが相手のポイントダウンに繋がる。もちろん自分もポイントダウンする。

 

さらに、他の人がこちらに、恐らく不可抗力的にぶつかってくる事が多々ある。

 

予選をうまく走って、予選2位!よし!

 

スタート直後の第一コーナーで、他の車の位置を考えながら慎重にブレーキング。そこに、ガツンと追突され、そのままグラベルへ。修理してレースに戻っても、ほぼ最下位。

 

なんというか、この怒りに似た感情をどのように制御するか。

 

先日、予選2位からスタートして、自分のミスでコースアウト。予選2位だったということもあり、早くレースに戻りたいという感情が生じ、無理して戻ろうとした。そこに後続車が来て衝突。レースは終わった。

 

私のレースが終わったと同時に、ぶつかってしまった後続車のレースも終わった。iRacing には protest という、他のユーザーの動きに対して抗議する仕組みがあり、その後続車は私を protest してきた。仕方ない事だろう。ただ、こちらとしては、この抗議を受けたという事実に結構な精神的なショックを受けた。相手もそうだったのだろうが。

 

特に私のような初心者クラスではそのような事はよくある。私も他の人のそういった軽率な?動きでレースが終わったことも何度もあり、その都度結構腹が立つ。ただ、まぁ、ゲームだしと思うのだが、先のブログにも書いた自身の腕前を表す数値が変化してしまう。しかも、上げるのは難しいが、下がるのは簡単、例えば他の人が突っ込んできてこちらに全く否が無いとしても数値は下がる。全く否が無いということがあり得るかはこの際置いておこう。

 

だいぶんレースをこなして、緊張感は克服してきた。一方で、怒りについてはあまり無いのだが、ちょっとモチベーションが下がるという事が起きてきた。

 

あーーー

 

といった感じ。なんだろうか、不毛さというか、今までの努力は何だったんだ的な。

 

そういう意味では、iRacing のレースのもようをYouTubeなんかでライブ配信している、人気のレーサーを見ていると、いちいち感情を表に出して叫んでいる。実はこの方がモチベーションを維持しやすいのだろうと思い出した。そもそも、実社会ではある程度感情を押させる工夫して生きている訳で、ゲームこそ感情的になっても良いような。

 

そういうキャラでも無いので、即感情むき出しとは成らないだろうが。

 

ところでおとといの晩、GT3のfixed setup (車体の設定を変更できないレース)ではじめて1位になった。結構数値が上がって喜んでいた。で昨晩も、いくぞ!とレース。予選2位からスタートして1コーナーで追突されほぼ最下位。

 

ちょっとやる気無くしているので、ブログを書くという今日に至る。

 

ところで、1位になったレース。予選1位からで、途中二度ほど抜かれた。後ろに付かれたらあまりブロック等しないので、直ぐに抜いてもらう。ただ、そういう場合、数周以内に抜いた人はスピンする。結果としての1位。

 

私はそもそも今のところ殆ど他の車を抜けないのだけれども、たまたま抜けた場合には同じような事になる。これも、修行の一つであろう。

 

iRacing 当面の目標

iRacing については、ライブ配信している方が世界中に沢山いる。そういった中継から、面白い場面を切り貼りした動画があり、それらが面白い。ああ、こう言うのあるよねぇ的な。やってないとわからない部分もあるだろう。

 

例えば、次の二つ。世界中のおっさんが頑張っている。しかも iRating が恐ろしく高い。

 

 

 

当面の目標は、こういった動画中に自車が映り込む事。だが、それほど簡単では無い。これらの動画を見ていると、まずこれらの動画を配信している方々のクラスは必ずAでありかつ、iRating ももの凄く高い。7000以上とか、少なくとも3000以上は必要みたいだ。

 

どういうことかというと、レースは自動的に iRating の数値を元に組み分けされるので、私のiRating が高く無いと、この方々と一緒に走ることがそもそもできない。よって、動画に写ることは無い。現状の私のレベルでは、レースが5分割されたとすると、4番目か5番目のレベルの低いレースに入る。これら動画の方々は、間違いなく1番高いレベルの組なので、まずはそこに入らねばならない。今のところ、私の iRating は1000前後。ここ最近は慎重すぎる所もあって、1000を切って下がり続けている・・。少しアグレッシブに頑張りたいところ。

 

iRacing はなんともインターナショナルで面白い。ボイスチャットは僕はまだ使ったことが無いが、様々な言語が飛び交う。どう考えても酔っ払いみたいな人も居る。特にオーバル系は、叫ぶ系の人が多い(笑)家に居ながら、即インターナショナルなこういったゲームは、国際性を育む意味でも良いのではないかと思うが、どうなのだろうか。野球チームの人数が集まらないといった過疎地域の青少年はこういったもので一気にワールドワイドなんて良いように思うのだけれども。お金がかかるのは確かだけれども、それは通常のスポーツでも同じようなものではないかと。ちなみに、ADSLでも問題なくレースできている。

 

いずれチームを組んで耐久レースなんかにも出てみたいところだ。

 

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