浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

御文章を拝読していて思った事

御文章の拝読をしている。今、うちの本堂にあるものが、次の写真のように日付に合わせて選ばれているので、そのようにしている。(本願寺拝読日と書いてあるので、きっと本山ではそうされているのだろう。)

 

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そもそも御文章を説明せねばとGoogleで「浄土真宗本願寺派 御文章」で調べても、一般寺院の書かれた物しか出てこない。少し苦労して、次のページを得た。

 

聖教解説 ― 書名 | 浄土真宗本願寺派総合研究所

 

いつも思うのだが、何らかの浄土真宗本願寺派に関わる情報検索で一番上に本山や宗派のHPが出てこない事が多い。間違った情報が・・というまえに、正しい情報を今風な方法でどんどん発信して欲しいと思う。浄土真宗本願寺派が説明すべき語句については、自らWikipediaにも載せるべきで、人を雇ってでもきちんとした記述をどんどん載せていくべきだろう。系列の大学と共同してでもしたら良いのにと思う。今の人は今風な方法で情報を得ようとするものだ。で、御文章については、上のリンクに丸投げw(ただ、これはそもそものインターネットの情報共有のアイデアの基本だと思う。)

 

さて、御文章。蓮如上人が書かれたものである。1499年に往生されているということなので、いまから500年以上前となる。500年というと、かなり前ではあるが、今は人が100年生きる時代となったので5人生分かと思えば、それほど前でも無いような気もする(もちろん、世代毎に重なりがあるので、一世代大体25年程度だから、500年と言えば20世代分くらいあるので大昔であることは間違いない)。ただ、時代背景はかなり違う。

 

拝読していて特に気になるのは女人というワードがよく出てくること。もちろん時代背景もあり、女性であっても往生できるという言い回しは、当時は画期的であっただろうが、さすがに今の世の中には合わない。女性に対して少々失礼では無いかという表現もあるように思う。女性男性関わらず、皆極重悪人である事も述べられるわけだが、それを前提にしても私には拝読しづらいものが幾つかある。

 

今こそ蓮如の御文章はそのままに、その内容を受け継いだ現代版の御文章を浄土真宗各派協働で作成し、それをもって新御文章による伝道をすることにしてはどうかと思う。(実は全く各派間の関係性がわかってないので無理なのかも知れないが、個人的に言わせてもらえばそれくらいの協働ができないようなところに救いがあるのかと言いたくもなる。いや、これこれこうであって、無理だとかお叱りもあるかもしれないが、一般的に見て同様に思う人は多いとは思う。)

 

このようなことには伝統というパワーワードが必ず出てくる話である。何も、蓮如の御文章を否定しろということではなく、それはその時代背景をベースにした伝道であって、それは大事にすればよいと思う。一方で、教えは不変であってもその伝え方はその時代に合わせないとダメだろう。

 

布教師による伝道は私はとても良いと思う。ライブ感も良い。きちんと現代の状況に合わせたお話をされる。やはりお寺で法座というのは素晴らしい。一方で、社会的な人のつながり方はこの十年で大きく変わった。それは、それ以前の500年の変化に比べても大きく、質的な変化を伴っていると思う。極端な意見が出やすいことも有り、先の御文章やさらに言えば宗教における性差別的な”雰囲気”(あえて雰囲気とかいておく。)は、早急な対応が必要だと思う。組織においても男女を分ける傾向がある。これも伝統であろうが、そろそろ見直しても良いのではないか。私は問題を単に先送りしているだけに思える。色々と理論武装して今のまま続ける事も可能かも知れないが、私は積極的な改革をした方が、100年後の状態は良いと思うが。

 

私は蓮如の御文章は繰り返し信心の事が書いてあり、浄土真宗本願寺派のわかりやすい伝道資料であるし、大好きだ。ただ、それが、当時の時代背景に合わされているが為に現代の時代に合わないことが本当にもったいないと思う。節をつけて拝読するのも良いなと思う。

 

やや形式的な御文章による伝道。形式的になってしまっているから良いとするのか。そのあたり、これから5年程度のスパンで注目してみたい。また、伝統で済ませてしまえそうな諸問題についても、どう対応するか。本来なら、大改革が必要なタイミングであるとは思っている。新御文章は、改革の見える化としても良いように思うがどうだろうか。

 

なにやら書いたが、単純に御文章拝読を続けていて正直に思ったことであって、特に強い意見というわけでも無い。私の知識、考えが足らないが故に気分を害した方がおられれば、申し訳なく思う。