浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

シミュレーション仮説

シミュレーション仮説(Simulation hypothesis)というのがある。

 

この件、SF的で話題になりやすく、「シミュレーション仮説」で調べると沢山のブログがヒットし、それぞれの人が持論を展開している。そう言う意味でも、インパクトのある話だ。

 

哲学者のニック・ボストロムがこの話では有名だけれども、SFの題材としてはもっと古くからあったし、その概念は哲学的には古くから考えられてきたことのようだ。簡単に言えば、マトリックスの世界観。我々の存在は、超知性(Super Inteligence)によるコンピュータシミュレーションの中にあり、そもそも我々が実体なのかシミュレーション内の存在なのか我々には識別できないということ。

 

背景には、現在の技術を超えるコンピューティングパワーが将来的には実現するであろうと考えられ、将来の知性はそれを用いて何をするか予想ができないということがある。

 

その話を特に、AIの進歩という観点からひたすら考察しているのが次の本で、今絶賛読書中なのだが、まだ真ん中あたりだ。とても長い。とても読みやすい本とは言えないが、まぁよくもこう色々考えられるなと感心する。人間より高い知性が人間的である必然性が無いというのは納得がいく話しである。

 

スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運

スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運

 

 

超知性に関してあまりに楽観的なのはまずいというのは全く同意でき、現状のAIをみて、大したことはできないと決めつけるのはまずい。将来的に、超知性が現れる、開発されることは確実というのも同意できる。だから、それが現れる前に、超知性が人類に悪さをしないようにするにはどうしておけば良いのかを考えねばならない。超知性が現れてから対策を考えるのでは手遅れである。全くそう思う。そういう意味では、この分野はもっと研究が必要な分野であろうと思う。

 

これは全く個人的な考えだが、超知性を考えるときに、宗教(いわゆる仏教であるとか、キリスト教であるとかの意味での宗教)というものが何らかの役割を果たすことになると思う。超知能に宗教観は芽生えるのか?芽生えないとも言えないだろう。ただ、先の本にあるように、結果として超知性がシングルトン(絶対的強者で完全一人勝ち状態)になる場合には宗教は不要かもしれない。多くの知性が交流する世界において宗教は重要だが、単体で世界を支配(それを支配と呼ぶのがふさわしいかよくわからないが)するような知性に、そもそも孤独という概念は不要だろう。そう考えると、知性と人間性は分離可能であって、宗教観のようなものは知性というよりも人間性に近いものであって、人間の知性を超える機械的な知性が現れる可能性が出てきた今、人間性とはそもそも何かの再確認が必要に思う。

 

さて、シミュレーション仮説に戻る。

 

我々はシミュレーションされている存在だろうか?実は長年生きているように感じているが、(シミュレーションを行っている世界での時間で)数時間毎にほぼ同じ状態から繰り返しシミュレーションされていて、もうすぐまたリセットされる時間なのかもしれない。たとえそうだとしても、シミュレーションされている身であればそのことはわからない。何故彼らはそういうシミュレーションを続けているのか?それもわからないし、そもそもそんなことがあるのかもわからない。

 

私もいわゆるシミュレーションを行う。例えば、次のものはある種の数式のシミュレーションで、ある種の数式の「解」をその状態がわかるように色分けで表示したものだ。

 

これは、JavaScriptという言語で書かれていて、今これを見ているウェブブラウザ(パソコンまたはスマホ)の上で、ある種の数式が計算され、計算結果の数値を色分け表示している。これもしょぼいが一種のシミュレーションだ。 実際、つぶつぶをクリックまたはタップすると、つぶが消えて、また粒の分裂が現れる。このシミュレーションが、スマホの上でリアルタイムで動く事は結構な衝撃である。私が大学生の時(30年くらい前)には、このシミュレーションをリアルタイムで動かすには数千万円のワークステーションと呼ばれる高級な巨大なパソコンが必要だった。それが、今は数万円の音楽プレーヤーiPod Touchの上で動いている。それくらいの進歩があった。これから30年後がどうなるかわからないというのは、こういった経験からも実感としてある。楽しみだ。

 

実は我々は、とてつもなく進んだ文明にある知性の趣味のブログに張られたこのようなシミュレーションで、プチプチタップされて消えたり現れたりしているのだろうか。そんな超知性がブログなんて書いたりしないだろうが、そういうことを想像するのは楽しい。今頃、私をシミュレーションしている超知性が、シミュレーションを見ながら、あ、またこいつ変なこと書き始めたわ、リセットしてやろうなんて思って居るのかもしれない。いや、広大な世界のシミュレーションだから、全く意図していない、世界の片隅で細々と動いているのが私で、全く認識もされていない誤差程度の存在なのかもしれない。この世界に生きている我々が考える、個々の重要度が外部で我々をシミュレーションしている存在が考える重要度とは違ったりしたら面白いなとか。考え出すと結構止まらない。

 

ただ、このような考え方、我々の世界の創造主がいるというのは、結構さまざまな宗教の考え方にはしっくりくるのかもしれない。ただ、その創造主たるシミュレーションを行っているのが、超文明の幼い子供のおもちゃの中かもしれない。たまたま、飽きて放置されているだけで、近い将来には気が付いて様々な危機をこの世界に与え始めるのかも。こういう考えも結構そうかもなんて思えてしまう。

 

シミュレーション仮説については、それならそうとしてもどうしようもないので、今の世界をそのまま生きるしか無いし、自分たちが単なるシミュレーションだと気が付いたところで、なにかハッピーになれる気もしないので、SF的な思考の遊びとして楽しむのが良いのだと思う。

 

ただ、超知性(この後に張るTEDの二つ目の方参照)については、人間が考えておくべき問題であると思う。皆が皆パニックになる必要は無いが、一部強烈に危機を感じて研究をすすめる優れた知性が複数必要だろう。

 

最後に、ニック・ボストロム氏のTED講演を二つ貼っておく(どちらも日本語字幕付き)。失礼だが、ニック・ボストロム氏はあまり講演は上手ではないように見える。ただ、刺激的な内容、思っているけど普通の人は言えない(言わない)ようなことを淡々と言うところが魅力で、多くの人がこの映像を見るのだろう。ニック・ボストロム氏が、私より若いと言うのを先ほど知って少ししょげた。
 
では、皆様、良い今回のシミュレーション内生活を!次のシミュレーション(来世)でもお会いいたしましょう!