浄泉爺のブログ

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田舎の鉄道 JR山陰本線

昨日(2019年11月23日)、ドローンを飛ばしているとたまたまJR山陰本線の列車を見かけたので撮ってみた。ちなみに、浄泉寺の最寄り駅は人丸駅で、そこからはタクシーで数分または徒歩で15分といったところ。

 

 

のどかだ。BGMはフリーの音源サイトからとってきたもので、以前他の動画に利用した作者、龍崎一氏の別の楽曲を使った。

 

こういった赤字ローカル線はあちらこちらにある。この間の週刊朝日にはこれから30年間の間に廃線になる可能性が高い路線という特集記事があって、山口県内の路線はほぼ全て入っていた。当然、山陰本線も入っている。残念だが、このまま利用者が少ないままであれば仕方ないだろう。

 

ところで長門市の中心部にあるJR長門市駅は実は3つの鉄道路線が入っている。

 

JR山陰本線JR美祢線仙崎線

 

3本も!大都会のようだ。

 

仙崎線は、山陰本線の支線とよばれるものらしく、単独路線として数えない方が良いようだが、長門市駅が鉄道の要所である事は間違いない。が、先の特集には上記全てが入っていた(仙崎線は支線なので名前は出ていなかった)。

 

過疎が進む町で、これらがまだ全て稼働しているのは奇跡的だと思う。

 

JR美祢線は結構頑張っている。山陽側からの人々を山陰側に輸送する縦断路線だ。JR厚狭駅に新幹線が止まるようになった1999年から、美祢線の活用方法は広がった。山陽側から山陰側への旅となるが、山越えであり、のどかな車窓が続くのでそれなりに楽しい。おそらく全てワンマンでの運行なので、乗車時に整理券を取るなど、バスのようだ。バスも都会では殆どICカード式になったので、整理券自体が無くなりつつあるが、都会からきた旅行客にとっては結構なカルチャーショックが楽しめるように思う(自虐的だが、こういった視点で楽しむとうのはアリじゃないかと思う)。また、山口宇部空港から長門市駅に鉄道を乗り継いで移動する事もできる。ただ、乗り換え等が結構大変だ。美祢線は2010年に大雨で一時的に不通となった。そのとき、JRは真剣に廃線を考えたようだが、地域からの要請もあり何とか復旧した。基本的には、赤字であって何かあれば廃線としたいと考えていると思われる。以前は、わざととしか思えないような新幹線との連絡の悪さがあったが、現在はそれほどでも無い。

 

JR山陰本線は、車窓からの景色が素晴らしい。海の横を走る区間が多く、すがすがしい旅ができる。但し、車窓からの景色に電線が入る事が多く、また大抵窓が汚れており、美しい景色を写真に撮ってSNSへと思っても、イマイチな写真になってしまう。JR山陰本線は、下関ー小串間と、小串ー長門市間での運行が分かれていて、前者には結構乗客がいるが(下関の中心への通学・通勤圏)、後者はガラガラという事になっている。直通もあるにはあるし、観光列車も走っている。以前は「みすゞ潮彩」であったが、今は「○○のはなし」という名前になっている。この路線もおそらく廃線にしたいに違いないが、なんといっても山陰本線であるから、未だ細々と繋がっているというのが現状だろう。こちらも、何かあれば廃線と言われかねない状況だ。

 

山陰本線美祢線には、結構ヨーロッパからの観光客と思われる人が乗っている。大抵大きなバックパックを背負った夫婦らしき中年カップル。あちらの方は、不便な交通機関はあまり気にならないらしく、実はこういう日本の地方都市への観光を望んでいると思われる。そこの駅で降りてそこからどうするんだ?という駅で降りていくこともよく見かける。どうしているのだろうか。

 

仙崎線は、最近設置された道の駅センザキッチンへのアクセスには不便だ。道の駅なので、自動車でのアクセスがメインであろうが、せっかく鉄道でアクセスできるのにもったいないようにおもう。仙崎は幾つか観光資源がある。例えば、金子みすゞ記念館金子みすゞは、仙崎の童謡詩人で一時期ブームとなった。父も、その詩の内容が仏教的であることもあって、幾つか金子みすゞに関する本を書いた。今アマゾンで調べると、次のものしか出てこないが、数冊書いていたように思う。先の記念館の開館の式でテープカットもしていた。

金子みすゞがうたう心のふるさと

駅から記念館までの距離は大したことないが、途中の町並みが惜しいというかテーマ感がない。少しストーリー性があればより良い観光資源になっているだろう。最寄り駅から、目的地点までを歩かせるというのは、悪いことではないがその間の道のりに魅力は必須だろう。仙崎駅は比較的新しい。観光関係で恐らく予算があって改築したのだろう、詳しい経緯は知らない。

 

都会からの観光客は、そもそも自動車免許を持っていない可能性が高いということは頭に入れておく必要がある。不便さを魅力に見せるのには工夫が必要だ。ただ、不便さ=魅力が無いとはならない点は注意が必要だ。不便さにも価値が見いだせる時代である。

 

さて、それはそうと、せっかくある鉄道路線。基本的に田舎の鉄道は、50年前くらいの「これからは自家用車の時代!」時代に、「鉄道なんてもう古いし不便!」というふうに見つづけられているように思う。恐らく、田舎に生活し、自動車を乗り回している若い世代は鉄道のことはほぼ忘れているだろう。ご老人も、先の50年前の考えからの脱却は難しいと思われる。そもそも、町の開発計画が、鉄道の活用を意識しているとは全く思えない。

 

これまでの常識にとらわれない、既存鉄道の活用法を見いだし、環境にも老人にも優しく、若者がいきいきと生活でき、老後もここに止まり続けたいと思うような町作りが可能なんじゃないかと思う。多くの人に聞けば、便利こそ一番で、ドアツードア交通機関が良いと答えるのだろうが、そうでは無い多少の不便さに価値観を見いだし、住民がどうそれを納得するか。難しいが不可能ではないように思う。

 

といったことを、ドローン動画を見ていて考えた。

 

過疎地域の政治においては、住民の希望を聞くのも良いが、持続可能性において、こういった不便さの受け入れが必要だとか、ただそれにはこういう魅力もあるとか、提案・説明ベースの改革が必要なんだろう。バラ色の政策に将来性がない事はだれもが感覚的にもよく分かっている。既に手遅れとも思える地方の現状においては、それを希望に満ちたものへと変えるのは並大抵のことではない。知性を集めて、よくよく考えてもらいたいところだ。