浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

チャンネルを置く

チャンネルを見違えるとテレビは出んぞ! 弥陀の本願を聞くのは、善人の位置にチャンネルを置いては聞こえぬ。

如是我聞ー上山城守遺語ーより

 

私は殆どテレビを見ない。これはそうしようとしているわけでは無く、見たくないというのに近い。面白くない。

 

ただ、全く見ないわけでは無く、以前住んでいたところではケーブルテレビを契約していたので、ディスカバリーチャンネルナショジオといった海外のドキュメンタリー番組は好んで見ていた。科学啓蒙的な番組も優秀なものが多く、どうして日本の放送局はこういったものを作る事ができないのだろうかと思っていた。ベースを英語で作っておけば世界展開でき、収益も上がるのあろう。日本にサイエンスライターがあまりいないのもそこに原因が有るのかもしれない。英語で作られたコンテンツは、基本的に全世界に拡散できる。一方で、日本語コンテンツはあまりそういう力が無い。よっぽどのものでない限り、英訳されて世界展開ということにはならないだろう。

 

特にテレビで気に入らないのは、最近(とは言っても、ここ20年くらいか?)のニュース番組だ。アナウンサーが自分の考えを述べる。多分、久米宏ニュースステーションくらいからじゃなかろうか。まぁ、これには色々な意見があろうし、その方がわかりやすいと思う方も多いのだろう。ただ、僕は気に入らない。

 

もう一つ気に入らないのは、ニュース番組にスポーツコーナは必ずあるが、サイエンスコーナーは無いところ。もちろん、独立したサイエンス番組がある事は知っているが、ニュース番組にコーナーがあってもよいように思う。現代の世の中は良くも悪くも科学技術の恩恵を受けている。その科学の最先端を伝えるのもニュースの役割であろう。他国でやっているかはしらないが、もしも日本が科学立国として今後の世界をリードしたいなら、NHKのニュースに週に一度でもサイエンスニュースのコーナーを作るべきだ。スポーツも結構だが、サイエンスも大事である。そうすれば、多くの方が、サイエンスに興味を持つだろうし、次世代の人材育成にもよい効果が出るだろう。冗談では無く、これは結構日本の競争力を上げる特効薬的ポテンシャルがあると思っている。

 

さて、城守の言葉に戻ると、善人の位置にチャンネルを置くという表現が面白い。合わせるとか回すとかは言ったが(昭和生まれじゃないとわかるまい)、置くといった事はない。また、テレビを題材にしつつも、聞くというオーディオベースの内容になっている点も面白い。意図的なのか、どうなのか。そのような細かい揚げ足取りをしてもしかたない。

 

浄土真宗では、自分がとても善人なんてものでは無く悪人である。いや、そもそも善悪も正しく判断できない存在であると気が付くことが重要といわれる。ただ、それは結構というか大変難しい。日常的に、そのように言い続けてもただの自虐コントである。本心からそこに気が付けるかということだ。

 

弥陀の本願はそのような悪人と気が付いた私に届くのであって、善人にチャンネルを置く、つまり自分を善人と思う私には届かない。聞こえないということだ。そもそも、チャンネルを間違えても聞きたいものが聞こえてこない。どういう教えを聞くのか。その教えを聞くにはどういう姿勢が必要なのか。ここはおさえておかないと、ということだろう。個人的には、そこに目的意識を持ってくるべきなのかどうかが気になっている。救われたいということが直接的な目的になりづらい時代に思うから。その辺りは、また後日考えるか誰かに聞いてみよう。