浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

如是我聞・序

初心に戻って、私の爺ちゃん(祖父)、城守の言葉を並べて、少し考えてみたいと思う。以前は、選びながらと思ったが、最初から一つ一つでよいではないか。そうしよう。

 

○序

八十五歳の年も暮れに迫って、振り返って見ると漠(ばく)とした越し方だ。

余命いくばくもなくなって、残命を濫費(らんぴ)することが出来なくなった。

日々の自分を記録してゆこう。

誰に見せようと言うのでもない。後々に書きとどめて置こうと言うのでもない。

記憶力の薄い自分、それでなくとも老齢にて物忘れがはげしくなったので、書き誌るして自分の生活の記録を更に辿って見ることにしようと思う。

 

2022年末に父大峻(城守の長男)が往生した。寝たきりになって3年ほどのことだった。寝たきりになった頃、城守さんのように何か書き残してはどうかと何度か勧めたが、結局何も書き残してくれなかった。

 

一方で父は、「如是我聞 上山城守遺語 上山大峻編」として、1983年に永田文昌堂から父の父である城守の遺語をまとめたものを刊行し、有縁の方々に配っている。刊行にあたっての書き出しは以下のようなものである。

 

刊行にあたって

 鯉原山浄泉寺前住職自然院城守法師往生の後、数冊の手帳がみつかりました。その中に次のような言葉がみられます。

 八十五歳の年も暮れに迫って、振り返って見ると漠とした越し方だ。余命いくばくもなくなって、残命を濫費することが出来なくなった。日々の自分を記録してゆこう。誰に見せようと言うのでもない。後々に書きとどめて置こうと言うのでもない。記憶力の薄い自分、それでなくても老齢にて物忘れがはげしくなったので、書き誌して自分の生活の記録を更に辿って見ることにしようと思う。

 眼を通してみますと、お念仏のよろこびや僧侶のあり方に対する批判など、平素の自らの思いが短い箴言風の文章でびっしりと書き留められています。右の言葉からしますと、八十五歳(数え年、昭和五十二年)の頃より思い立ったことのようです。なかには味わい深い御法義の歓びや、厳しい自己反省など胸をうつものが少なくありません。晩年にしてよくこれほどの考えを保ちつづけ、しかも書き残したものだと感嘆せざるをえません。本人は「誰に見せようと言うのでもない」と言っておりますが、このまま独り言にしておくのは惜しく、有縁の方々に前住職の思いを知っていただくために、こうして遺語の刊行を思い立った次第であります。

 

父にも祖父同様に何か書き残して欲しかったが、残念ながらそれは叶わなかった。

 

さて、爺ちゃんの言葉を見てみる。城守は89で往生したので、その4年くらい前。脳血栓を晩年患ったので、余り自由の効かない体であった。元気な頃は絵を描いたり、詩を詠んだりと文化的な人だった。また、地域からも僧侶として、そして文化人として尊敬されていた。いまも、門徒様から城守の話題がよく出る。本当にお坊さんらしいお坊さんだったと聞く。

 

お坊さんらしいお坊さんとはどういうお坊さんなのだろうか?

 

城守は、確かに頭は禿げていて、痩せた感じで見た目からしてお坊さんっぽかった。ただ、そういう見た目のことを言っているのではないだろう。書き残された言葉の中にそう言ったヒントがあるのかもしれない。

 

さて、最近話題のAIに、城守の言葉を歌にしてもらおうとおもう。どうなるか?こちら、一度に二つのバージョンを作成してくれるのだけど、どちらもなかなか面白いのでどちらもどうぞ。

 

suno.com

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2024/08/18