浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

ボツとなった原稿

あるコーナーに500文字程度で8回ほど適当な文章を載せてもらった。全体のバランスからボツになった原稿があるので、ここに載せておこう。全体に私は私は系が多くなりがちだったのが反省点。このボツの二つも私は私は系。

 

宗教と科学

私は30年間、応用数学の世界で研究教育に携わっています。一方で、2年ほど前から寺の住職もしております。宗教と科学というテーマを語るにはもってこいであろうと思いますが、正直深く語れることはあまりありません。ですが、仏縁を多くいただく中で思う事は、科学と宗教の両方とバランス良く付き合うことが大事であろうということです。どちらかを排除するのはよろしくない。宗教家の方がよく一方的に科学批判をされますが、どれほど科学の事をわかっておられるのか。一方で、宗教家ではない多くの方はそれほど宗教に興味を持たれておらず、科学全盛の時代において宗教はもはや不要という方も多いように思います。コロナ禍に限らず、そもそも全ての人は数多くの苦しみの中で生きています。しかし、それに気づかず、最初に出会う苦や孤独に絶望する。日本では自死が多いということですが、とても悲しいことです。科学と宗教は貢献できるポイントが異なりますが、どちらも幸福に大きな役割を果たすものです。100年人生と言われる中で、自らの幸福、他の人の幸福、世界の幸福をどう捉えるのか。次々とアップデートされる社会構造の中で、アップデートする事ができない我々の内面に気が付くとき、不器用な自分自身のことが愛おしく感じられます。2ヶ月間ありがとうございました。南無阿弥陀仏

 

諸行無常

私の専門はパターン形成問題です。諸行無常、砂上の楼閣は時間とともに崩れ去る宿命の中で、我々のような形あるものができあがる仕組みを研究しています。これを自己組織化と言います。ところで現在、都市部への人口集中が顕著ですが、価値観ということからするとどんどん一様化・標準化が進んでいるように見えます。これは、地方が都会に追いつきたいということから生じているものですし、効率優先の結果でしょう。価値観の多様性は失われ、ボリュームすなわち量が選択基準としかならず、結果としてさらなる都市部への人口集中がおこっているように思います。地方の田舎はもっと個性を持つべきです。首都圏周りには素敵な田舎が沢山あります。自然も豊かで、サービスの質も高い。一方で人口集中地から遠く離れた田舎町にどういった個性を見いだせるか。自己組織化こそが、個性的な街を作るヒントであると思うのです。地方が自ら砂山として隆起するパターン形成を引き起こす。自己組織化のメカニズムは、実は個々の繋がりにあります。個々が相互作用し、大きなうねりが諸行無常の世界に自然にできあがります。そのうねりのパターンが街の個性であり、そこに人は魅力を感じるのです。どのようにすればそのようなうねりが生じるのか。まだまだ研究が必要です。