浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

JoyaTimer に見る、これからの100年人生

除夜の鐘までにはまだ少し時間がある。少し引っ張ってみよう。と書き始めたら、新年になってしまった。一月も終わりそうだ。なんてことだ。というか、二月になってしまった。そろそろ仕上げて公開しよう。

 

昨年末に JoyaTimer が少し流行った。僧侶がアプリ?除夜の鐘でアプリ?的な扱いであったが、僧侶+理系とか、大学教員+住職とか、田舎の現状を寺から見ようとかそういう一面についてはあまり世間的には興味が無いようだ。まぁそれはそうだろうとも思う。一方で、これからの100年人生といった事を考えると、実は今の私はそのリハーサルをしているんじゃないか?と考えはじめた。そこで、少しばかり考えをまとめてみようと思った次第だ。以下は、今現在の考えで、中に書いてあるように、今後実際に事業を立ち上げることができれば、また新たな視点も出てくるだろう。あくまでも現状である。

 

今現在、寺の住職と大学教員を並行して務めている身からして、マルチキャリア人生に現れるであろう問題点等が少し見えてきたように思う。特に、私は現在50手前だが、比較的高年齢での仕事変更における問題点について、現状の考えをまとめておこう。 人生の途中で何度も仕事をかえていく事は可能だろうが、やはり向き不向きもありそうだし、教育システムに変更も必要だろう。その辺りを考察したい。

 

最近100年人生をどう生きるかといったテーマが話題だ。半年前くらいに次の3冊を読んだ。

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

百歳人生を生きるヒント 日経プレミアシリーズ

百歳人生を生きるヒント 日経プレミアシリーズ

 

  

多動力 (NewsPicks Book) (幻冬舎文庫)

多動力 (NewsPicks Book) (幻冬舎文庫)

 

 

人口のおおよそ半数が100歳まで健康に生きられる時代がくるそうだ。めでたいことだ。だが、現状の80歳程度で死を迎える前提のライフプランのままでは、様々な問題がでてくるだろうと言われる。これまでのライフプランでは、最初の20年程度が教育に費やされ、その後40年間程度働き、その後老後を20年程度。これで80年であった。100歳人生となると+20年ある為、老後が40年となる、どうするか?これが問題である。

 

恐らく解としては、働く期間を延ばす事になるだろう。つまり、老後は20年として、80歳程度まで働く。そもそも仕事が無くなる可能性も指摘されている中、どうなるか全く予想ができないが、まずは、80歳まで働いてその後100歳までを老後とするとして考えてみる。ただそうなると、60年間働く事について色々と問題が出てくるだろう。

 

そこで先の3冊でも取り上げられる、マルチキャリアへの移行である。つまり、最初の教育20年は良いにして、その後20年働き、その後次のキャリアに向けた教育を数年挟み、さらに異なる職種で20年、さらに次のキャリアに向けた教育を挟みその後さらに別キャリアで20年程度。こうすると80歳+まで働き、20年弱の老後となる。

 

80歳まで働くことを前提としたら、20+60で良いのでは無いかという感じもするが、時代の変化がこれまで以上に早くなると考えられるこれからの世の中で、60年間同一知識(最初の20年間で得た知識)で働き続けることは難しいのではないかというのが一つの理由。もう一つは、そもそも60年間も同一仕事をする人生に魅力があるのかという点。労働は金銭を得るためであるという割り切りはできるかもしれないが、やはり飽きるだろうし、時代の変化というものがあるため、何にしても途中での追加教育は必要となるのだろう。

 

そうすると、そもそも追加教育というタイミングで、全く違う職種にスイッチする方が魅力的かもしれない。さてどうだろうか。

 

さて、私の場合、お寺があり、それを継ぐ必要があった。父は元気であったが、万が一父に何かあればすぐに寺に戻る必要があったので、毎年、今年が最後かもしれないというつもりで大学教員という研究職を続けてきた。

 

この十年の間で、両親が急に老け込んだ為(色々あるが、詳細は書かない)、私はついに寺に戻ることを決意した。6年前くらいだろうか。その後、大学をかわったりしたが、細かいことは色々当たり障りもあるので書かない。

 

昨年(2019年)3月に、ついに寺に戻ってきた。現状は、大学教員をしつつ、寺の住職をしている。実は、今年度(2019年度)と来年度(2020年度)くらいは、父と2人で住職業をしようと考えていた。そういう状態であれば、大学の教員をしつつもある程度自由な時間も取れると考えていたため、寺のあるこの長門市を拠点とした寺とは別の事業を立ち上げる気持ちもあった。しかしながら、父が私が帰った途端に入院するという事態が発生し、突然の1人住職となってしまった。

 

さて、その中で私の心の動きを少し書いてみたい。

 

実は父との比較で色々書き始めたが、結構当たり障りが出てきたので一気に消して、私の個人的な心の動きのみ書こう。

 

まずお寺について。こちらは、30年間離れていたため、ほぼ全く素人である。もちろん、僧侶の資格を取るために、得度習礼、教師教修への参加をしたり、中央仏教学院の通信教育で学習したりはしたので、何とかなるといえば何とかなっているのだが何分耳学問程度である為、門徒さんには多くの失礼や迷惑を掛けていると思う。ただ、皆様もれなく応援してくださるおかげで、何とかなっている。感謝しかない。

 

今の田舎の実状を言えば、各家庭のご子息は、ほぼ例外なく都会(東京や大阪が多い)に出て家庭を持っており、田舎に帰ってくることはほぼないという状態。これは、田舎に高等教育を受けて身につけた能力を活かせる職がほとんど無いというのが大きい。実際には、より高いレベルの創造性があれば、田舎で事業を立ち上げるなど可能だろうが、そこまで高い志と能力を持った人は大変レアであって、期待するのも難しい(なにかやるなら、都会の方がどちらかというと簡単だ。これは比較の問題であって、都会での事業立ち上げがたやすいといっているわけでは無い。)田舎に残っておられる親御さんも、結構な年齢であるが、それで仕方ないと思っておられる。そういう意味で、寺という特殊性はあるが、少なくとも安定した職業を放棄して田舎に戻るという私の行為は、それほどあたりまえの事ではないと理解いただけている。

 

さて、一方で大学教員としてはどうか。こちらもあまり詳細を書くと当たり障りがあるので、どうしても曖昧になってしまう。仏教学等の研究者であれば(父はそうであった)、寺での立場との整合性が高く、大学教員としてのポジションも場合によっては門徒さんからみても、言い方は俗的だが、格の高いお坊さんという認識になるようだ。一方で、私のように全く違う分野の場合、面白さはある程度あるが、それで?という感じになり、それはそれで仕方ない事だ。簡単に言えば、全く関係がない。仏教学等の研究者であれば、日常的な研究活動が、例えば法話の題材としてそのまま活用できるだろう。一方で、応用数学の話から法話を作り出すのは、エセ科学的話になってします。それはしたくないので、そういう意味では全く関係が無い。これは愚痴を言っているように聞こえるかもしれないが、冷静な観察からはそうなるだけで、絶望しているわけでも無い。何らかの方向性は絶えず考えている。

 

では、大学教員として、実は住職もしているというのはどうか?これも、仏教学等の研究者であれば、そのような例は多くあり、状況を周辺の多くの大学教員が理解している。その困難さであるとか、云々。一方で、私の専門に住職は居ない。仕方ない事だが、状況を全くわかってもらえない。まあ、からかわれる程度の事だ。中途半端な活動や貢献しかできない為、申し訳ないと同時に結構な心痛をする。また、これも当然だが、全く大学教員としてのアドバンテージは無い。話題性はあるとはいえ、研究者としての評価につながる事は皆無。なんか怪しい研究者という見方になるだけだろう。もちろん、それなりの研究業績を上げ続けていれば良いだけなので、これは単なる言い訳だ。

 

では、大学教員をスパッとやめて、住職一本にするとどうなるか。これまでの、研究者としてのキャリアはスパッと消えることが見えている。これに耐得られるのか?私の考え方、さらには私を精神的に支えるポジショニングが0になること。住職としてのキャリアはほぼ0で、しかもそちらでの出世に特に興味が無い場合。(自坊をより良くしていきたいという気持ちはあるが、一僧侶としての生き方に僧侶としての出世欲は全く無い。祖父は、田舎の一住職としての使命を全うした。住職としては、田舎の一住職として、地域に慕われるという事が理想だと思っている。)

 

ここでは、以前読んだ次の本が頭に浮かぶ。但し、今回は自分の限界を感じたというよりは、必要から生じたキャリア変更であるので、少し状況は異なるが。ただ、為末氏のこの本は色々と参考になる。もっと評価されて良いと思うが。

 

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

  • 作者:為末 大
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 2013/05/30
  • メディア: 単行本
 

 

実は現在教育関係の事業の立ち上げを考えている。これは、これまでのキャリアや経験を活かせると思っていて、大学教員からその方向へのシフトで私の転職を果たしたいと考えている。ただ、それは自坊近くで立ち上げる必要があり、色々困難はあるが、それが唯一の私の生きる術かと大げさに言えばそういう感じだ。

 

今の私の状況からわかることは、マルチキャリアというライフプランは、それほど簡単な事ではないと言うこと。あるキャリアをある程度究めた(究めたはいいすぎか?)後に、完全に素人なキャリアで生きていけるか?これはなかなか難しい事だ。一方で、ある意味それまでのキャリアのステップアップまたは方向性の変換ならばありえるし、それしかないというのが印象だ。それまで銀行員だった人が、突然農家に転職できるか?出来る方もおわれるが、多くの人には難しいだろう。

 

少なくとも、今現在、私の心情からすると、キャリアの変更はかなり難しいと言える。そういう意味では、現状のキャリアを過ごす中で、次のキャリアに目を付け、徐々にそちらにシフトしていくような工夫が必要だ。もちろん、創造的な人は、今のキャリアの中で次のキャリアを自ら創造していくようなことも可能だろう。しかし、99.9%の凡人にそれが出来るわけでは無く、大きな混乱となるのは必至。多くが、60年間一つのキャリアにしがみつこうとして対応できずに脱落し、不本意な次のキャリアに移るというイメージしか無い。

 

これは思った以上に難しい問題である事は確かで、最初の頃に示したような簡単な算数の話では無い。もしかすると、就学前の子供からの教育を根本的に見直す必要があるのではなかろうかと思う。今現在居る大人は、全くそういうイメージが無いわけだから大変だ。

 

どうも、現状では将来真っ暗な感じであるが、これを解決出来るのは、教育しか無いだろう。これまでの、キャリアに乗るのではなく、自分でキャリアを創り上げる能力。どうやればそういう能力を伸ばせるのか。考えるべき問題は多いようだ。一つ考えたことがある。この20年くらいは、自分のキャリアを見据えるよう子供の頃から何度もいわれている。将来何になるのか?小学生に聞いてどうするのか。私は次の様に応える事を、これからは勧めたい。将来どのような職に就きたいですか?

 

「変幻自在な人」

 

職では無いが、そのような能力こそが大事だろう。今考えている事業は、まさにこの辺りの問題にターゲットをもっていきたい。教育は知識を得ることも大事だが、考え方を学ぶ事が肝要だ。その為には、幅広い知識とそれらを組み合わせる力。さらには、新たなことに挑戦することを苦としない態度。また、これも以前からいわれていることではあるが、何らかの専門性。所謂得意技。これが無いと特徴が出せない。そういう意味では、以前から言われていることでしかないのだが、教育がなかなかそういう方向を向かないのがもどかしい。そこにチャンスはある。

 

さて、もう一方でAIの進化等によってそもそも多くの人の仕事が無くなるという未来も考えられる。私個人としては、結構このシナリオの方が可能性が高い気がしている。そうなると、多くの人が働かずに100歳まで生きるという話になるが。こちらはまた後日考察してみよう。