喜んで死ぬようになるべきだ
トルストイは「人間は泣いて生れたが周囲は喜んだ。死ぬる時は周囲は泣いているが、喜んで死ぬようになるべきだ」と言った。
トルストイをそもそも知らなかった。「戦争と平和」は聞いたことがあるが読んだことは無い。知らない事ばかりだ。
どうやら名言を沢山残しているらしい。
が、その中にはこの名言は無かった。他を調べると、ネイティブアメリカンの教えの中にこのような言葉があるようだ。ここではあまりこだわらないでおこう。
人間は泣いて生れたが周囲は喜んだ。死ぬる時は周囲は泣いているが、喜んで死ぬようになるべきだ。
人は泣きながら生まれてくる。それは別に悲しくて泣いているわけでは無いだろう。むしろ喜びなのかもしれない。ここでは泣くことは喜びである。
一方で死ぬときに周りは泣いてくれるだろうか。これは悲しみである。一方で、当人はこの世との別れを惜しんで泣くのだろうか。これも悲しみである。それを喜びとできるような人生にしなさいというのがこの名言の内容であろう。
悔いの無い人生をという。そのような事が可能なのだろうか。そもそも悔いとは何であろうか。やり残したことであろうか。やってしまった事への後悔であろうか。
人生は有限の時間である。全てのことをやり遂げるということは難しいだろう。人生においては、絶えず課題が生じる。これは一生続くだろう。
一方で、やってしまったことはどうしようもない。消すことはできない。
どうやったら喜びにかえられるのか。事実を事実として受け止めること、つまり最後に悔いは残るし、色々やってしまったことへの後悔もただそこに残ると認める事だろうか。それらの悔いを含めて人生であって、そのような不完全さこそが人間の姿であると気が付くことなのだろうか。喜んだ状態で死ねるか。今の自分には全く自信が無いが、死ぬまでのテーマとしては面白いではないか。
ところで、先のトルストイの名言ページに次の名言があって、心に突き刺さった。
幸せになりたいのなら、なりなさい。
If you want to be happy, be.
続ける言葉も無い。そうだな。トルストイに興味がわいた。