浄泉爺のブログ

浄泉爺の考え事を記録します(研究のこと、仏教のこと、教育のこと、ドローンとか)

OpenProcessingでプログラミング

プログラミングは楽しい。自分の頭の中での構想が、プログラミングを通して実現され動くというのはとても達成感がある。物づくりの楽しさがある。

 

OpenProcessing というサイトがある。そこでは、特にお絵かきプログラミング的な事が簡単にできるように工夫されていて、それらをそのまま一般に公開することができる。多くの人の作品がそこには並んでいる。

 

www.openprocessing.org

 

 ひとまずアカウントを作成して、簡単なプログラムを書いてみた。題して「MadPaint」。以前、何かの授業中にその場で作成して、それなりに面白かったので、再現してみた。乱数を使った簡単なプログラムだが、見ようによっては、芸術的にも見える。パソコンで見ている人は、マウスの画面中での位置で流れる方向が変わる。スマホ等でみている人は、画面内をタッチすると方向が変わる。

 

 

このサイトでは、その作品の動きをみるだけでなく、ソースコードもみることができる(</>をクリックするとソースコードが表示される)。手軽にウェブブラウザ上で、作品を楽しんだり、他人のプログラムのコードを眺めたり。

 

また、自分で作成したプログラムをこのようにブログに貼ったり、ホームページに貼ったりしてその動きを見せることもできる。なんと、スマホでも動く。なかなか楽しい。

 

プログラミングに限らず最近よく思うのは、わかりやすく教えるということが偏重されすぎた為に、面白さの最後の最後まで丁寧に誘導していかないとそこに到達できない人が多くなったように思う。例えば、ステップが10あるとして、9まで丁寧に教えて、最後の10に自分で到達すると、自分で到達した感がでるし、最後の1ステップ進めたのだから教育効果も高く、問題の解決能力が身に付く。しかしながら、最近は10まで連れていかないと教え方が悪いような言われ方をする。9まで連れて行って、10まで連れていかないことがわかったら、他の10まで連れて行ってくれる教育に乗り換える。10に到達できたといわれてきっと楽しいのだろう。だが、それは楽しいと思わされているだけであって、自分の能力をあげることには全く繋がっていない。ある意味騙されているのだが、そちらが良いとされる。いつまで経ってもステップ11には行けない。もちろん、ステップ15にも。

 

近頃の子供用の教育教材は本当に良くできている。ただ、上記のような傾向が強く、本当の意味でクリエイティブな人間を育てているかと言うとそうではないと思う。

 

別に外で泥んこになれと極端な事を言うつもりはないが、確かに私が子供の頃などは、外にでて、何をして遊ぶかをまず考えることから始まった。くだらないことばかりしていたが、遊び方を考えることはそれ自体が楽しい事で遊びだったし、学んだことは多い。

 

 

教育が極端なまでに「上手」に設計された現代においては、学ぶ側の姿勢が特に重要なんだろうと感じている。

 

この続きは、いづれ書こう。