火星探査
火星にローバー(Perseverance)が着陸した。
最初に活躍したローバーは、Spirit と Opportunity だったが、それももう20年以上も前になる。今、次のWikipediaを見ているが、それ以前にも幾つかあった事は知らなかった。
当時のエアバッグを用いた投入はとても面白く思った。デモ用の動画は当時もあって見た覚えがあるので探してみたらあった。YouTube公式には無いみたいだが、思えば当時はそういう時代であったように思う。
エアバッグに包まれたローバーがはねる姿は滑稽で、大好きだった。今回のミッションの動画は次のもの。
とても洗練されたなあというのが感想だ。
さて、この動画を見ていて気が付いたのは、女性が多いことと人種が多彩であること。ある程度、考えての配置だろうが、日本が同様の動画を作ったときにどのようになるだろうかと想像すると、恐らく男性が主であってしかも所謂黄色人種である日本人で占められるだろう。
アメリカの強さは、こういうところにあるなと感じた。
樹木伐採
シルバーの方に寺の周りの樹木を伐採して頂いた。
樹木が倒れる瞬間はスローモーションの様に感じられる。以下、記録映像(音量注意)。
さて、この伐採は、この辺りでは結構有名なシルバーの方にして頂いた。後、女性の方2名がこられて3名のチームで伐採をする。
杉の木を結構な本数伐採してもらったが、まあ元気。伐採した後の杉の丸太が沢山積み上げてあるのだが、それを移動しようと昨日チャレンジしたらとても重くて動かせない。シルバーの男女の力強さがスゴイ。
伐採をしてくれたシルバーの男性と話すと面白い事をおっしゃっていた。木を切るのは結構難しいということで、どの方向に倒せば良いのか、またその方向に正しく倒すにはどうしたらよいのかといった事について深く悩むことがあるそうだ。そのような難しい伐採を頼まれたときには、しばらく悩み続けるのだが、その後夢にその解決法が現れるのだそうだ。ベンゼンがベンゼン環の構造を蛇がくるくる回る夢をみて気が付いたというのと似た話だが、きっと無意識がずっと考えている中で、解決出来たらそれが夢に出るという事なのだろう。
私はまだそういう経験が無いように思う。それほど深く考えていないという事か。
お陰で、お寺の周りがかなりすっきりして明るくなった。杉の葉っぱが沢山落ちること、花粉も含めて結構悩みだったので、大変助かった。
実は、裏山の伐採も頼んであり、来月辺りにはしてもらえるのではないかな。そちらも数十本は切ってもらう事になる。何せ、仕事が早い。シルバー人材というのは、若手の人材よりもよっぽど活力があるように思う。
島根県の取り組み
昨日、以下のニュースを見た。
私は大変これには感心した。首都圏におられ、持病をもった島根県出身者が一時帰省する際に、経過観察する為のホテル代を半額支援するというもの。
コロナ禍において、地方のイメージは必ずしも良くないと思う。都会からの帰省等を規制し、どちらかと言えば都会から帰ってくるなというイメージ。重症化しやすい老人の比率が高いというのは確かにあり、とても心配ではあるが、都会にいる若い人からすると、自分たちさえ避ければ良いのかというイメージもあるだろう。もちろん、逆の立場でコロナ禍以前については、都会の状況を自分達さえ良ければ良いのか?地方の現状を無視するなという印象ではあったが。
今回の、この島根県の取り組みは、なかなか良いアイデアだ。島根県という県のイメージは確実にアップするだろう。県出身者だけではあるが、場合によっては移住を考える人も、島根県という県に魅力を感じるかも知れない。
個人的には、半額と言わず、全額補助。しかも、半額は行政がするが、もう半額は県民からの寄付でなんてことになれば、もう島根県最高としか思えない。これは、先の悪いイメージに繋がった、都会からの人を閉め出すイメージを完全に払拭するものだとおもう。
もちろん、県出身者のみというのはあるが、これは理解できることだ。さすがに、誰でもオッケーというような余裕は地方都市には無い。それこそ、地方はそもそも崩壊寸前というか、既に崩壊後なのだ。
ニュースで都心の繁華街が・・というのをみた。地方ではそういった風景は既に10年以上前に起こった。だが、そのまま放置された。基本的には地方に住んでいる方が悪いという印象だ。
だが、地方は今も頑張っている。この島根県の取り組みは、地方の暖かさを思い出させるよい機会になるだろう。
私の住む山口県も、どうかこういったことで目立って欲しいと思う。
金融機関が街を作る
地方では過疎化が進んでいる。はっきり言えば、行政がそれを好転させる、つまり過疎化を止め、人口が増える施策をする事は難しいと思う。
なぜならば、行政は多くの意見を聞く事が良しとされ、多くの意見からは平均的な施策しかできず、結果として手遅れとなると考えられるからである。実際、市民アンケートなるものが多発している。市民に聞いて、何か物事が好転するのか?きっとしない。
そういう意味では、街作りは民間主導であるべきだろう。
どのような民間業者が街作りをするのか。私は金融機関ではないかと思う。特に、地方銀行や信用金庫はそもそも街作りを支える基盤であるはずだ。それらが、お金を貸す、回すのみならず、積極的に街作りに貢献することが良いのではないだろうか。
例えば、過疎地では必要とされつつも無くなる職業が多い。クリーニング店であったり、雑貨店であったり、理髪店であったり。無くなる前であれば、今流行のマッチング等で後継者をという事があり、それはそれでドンドン進めるべきであるが、一端無くなると、それをもう一度というのは自然発生的には難しいだろう。そこで次の様な事を提案する。
銀行や信用金庫が、「起業セット」なるものを企画し、それをネット等で広く宣伝する。
起業セットの内容は次の様
- 業種
- 開業地
- 建物
- 初期投資金額
- 1年後の予想収入
- リスク
例えば、
- 理髪店
- 長門市油谷
- 直ぐに使用できる理髪店設備あり
- 施設改修に200万円
- 月あたり、平均50万円
- 周囲に高齢者の顧客ニーズがあり、短期的にはリスクは低いが長期的には人口減のリスクあり
例えば、
素人が書いているので変であることは承知しているが、これに初期投資は金融機関が融資することがセットとなる。金融機関かまたは子会社、関連会社を作って、地域のニーズのリサーチをする。それによって平均的な収入やリスクを評価できる。上記は資格が必要となる職だが、例えば喫茶店等であれば、経営のサポートも一定期間行う。例えば収入の数%は数年間は金融機関が得る等もあるかも知れない。
開業地域の教育環境等の情報も大事だ。特に若い人が起業するとなとなおさらだ。 そこで、金融機関が積極的に教育も行う。
Powerd by ○○銀行
ブランドで、学習塾を展開する。しかも、その塾は子供の個性を伸ばす方向の教育。例えば、モンテッソーリ教育のようなものを目指す。そういう教育で、田舎での起業という困難な事業を実施できる次世代の若者を育てる。一時的に都会に出ても良いが、その後帰郷し起業するような人材。その人は銀行に融資を頼む事になるだろう。長期的な戦略ではあるが、金融機関としての将来的な投資でもある。
銀行法等があるので、直接上記の様な事はできないのかもしれないが、金融機関または子会社、または関連会社が街に必要なものをリサーチし、それを広く募集し、それに対して融資する。また、教育にも貢献するというのは良いプランに思う。
田舎に来て、勝手に起業すれば良いという制度は行政にも色々ある様に思うが、問題はよく知らない土地で、ニーズも分からず起業するリスクはとても高いと感じるし、少なくとも私には難しい。上記のような、ある程度の見通しと融資がセットになっていれば、安心して移住や起業ができるだろう。しつこいが、特徴的な教育環境がそこにあることはとても重要で、子育て世代にとってはそれなくしては移住はできない。もちろん、起業者の能力によって成功・不成功もあるだろうから、銀行が失敗時に保証するといった事は不要だろう。それは一筆必要と思われる。
なかなか良いアイデアだと思うのだが、どうだろうか。
方言を守る
方言が失われつつある。
長門市にも方言があり、子供の頃は流暢に使っていたと思う。婆ちゃん、爺ちゃんが居たし。
その後、大学から関西に行き、そこでは関西弁が混ざったしゃべりになった。意識していたわけでも無いが、どうしても周りが関西弁だとそうなる。それは良いことだと思って居たが、関西出身の知り合いからは、変な関西弁喋るなと怒られた。こちらとしてはなじもうと思っていたのだが。まぁ、仕方ない。
一方で、長門市のことを考えると、最近移住者も増えているようだし、方言を見直してはどうだろうかと思う。そもそも方言はかなり絶滅しかけている。お年寄りは方言を喋るし、私もある程度は喋る。が、若い人は恐らく標準語に近いしゃべりしかできないだろう。
移住者も標準語でしゃべれば良いというのはそうかもしれない。
ただ、地域の方言で喋られるようになるのは結構重要な事で、地域に馴染んだ感がでる。
また、方言自体、意識して保存しないと絶滅する。
地元もケーブルテレビなんかが、長門市方言講座をしてくれると良いな。年寄りがでてきて、子供にしゃべりかける。子供は方言がわからないので??となる。そこで、その方言の解説が入り、子供も方言で喋る。よくある、第二外国語のテレビ講座のようなハイテンションなのが良いかな。
前から言われていることだろうが、地方都市はその都市の何が魅力かをもう一度考えた方が良い。方言がダサいなんて昔の人の考え方である。そもそもその考え方がダサい。多様性が好まれる時代。方言でもっと発信すべきだと思う。
初等教育を補助する教育についてのメモ
先日、どのような能力が欠けているかという事を、現在大学で指導している立場から考えた。
その中で、初等教育の重要性を考えたのだが、そもそも学習者そのものの立場というより、大人の立場からの考察でしか無い事に気が付き、そもそもそれが現在の教育の問題であるように思えたため、メモを書く。
子供はどのような環境で学習しているのか。人生をどう歩もうと考えるのか。
そこに大人の影響が大きいと考える。つまり、良い大学に行くこと。それが結果として良い生活、良い人生に繋がるという大人の思い込みが大きく影響している。
さて、このことを先日私自身が考えていたことに当てはめると、よりクリエイティブな人に育つことこそが良いという前提になっている。これを前提とするなら、結局それに向けた最適化された教育が設計されそれが運用されるだろう。実際、そういうものを私は求めている。
特に初等教育時期においては、これはもともそそうあるべきだし、今もそうであると信じたいが、あらゆる可能性に対してできるだけ対応可能な脳を育てることが大事である。それは何かと言えば、自らをアップデートする能力、新たな知識を得る能力である。また、知識を得る必要性を理解していること、これも大事だ。あたりまえのように思えるが、そうでもない。
よって、初等教育時期の子供が知っておくべき事は、
- 現在学んでいる知識の延長線上には何があるか?
- 自分が求める人生なんて子供の時期に分かるものではない。
- だからこそ、幅広く学び、それらの関係性や組み合わせを楽しむべきである。
- 学ぶ事は自らをアップデートする事であり、それはいつのタイミングでも可能である。
こういったことだろう。こういったことが、きちんと分からないのに、将来の夢をただただ言わせたりする。分かるわけがない。どういう仕事があるのか知らないのだから。じゃあ、色々な仕事を紹介しようという事もされているようだが、どうせ一部であるし、そもそも知らない事を認識させるべきだと思う。
私が今考えている教育の形は、そのようなものだが、具体的にどういったことをすれば良いかという事については模索中である。
教育の目標は、個人個人が自分の道を見つける事ができ、その上で、その道を実現できるようにすること。道を見つける事ができるようになるには、世の中を知る必要があり、それには時間がかかる。よって、様々な道に対応できる知識に加えて、知識を得るスキルと、そもそもその必要性を理解する事だろう。